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庭の鳩に餌をあげないでください

草生えるの話

早起きしたので、『草生える』について考える。

『草生える』ってのはネットスラングで、多分『笑える』って意味になるんだけど、どうやったら草が生えることが笑えるに繋がるのかってのをかんがえていくと、なかなかどうして興味深い。

笑える、が笑になる

『おもしろーい』『ウケるー』みたいな言葉を均すと、『笑える』になるのだけど、コレがまず『笑』の一文字になったのが事の起こりのような気がする。本来、『笑』だけだとただの動詞か、笑顔そのものを示すための言葉だけど、まぁ通じるので問題なく運用されたんだろう。実際、ネットスラングでなくとも雑誌のインタビュー等で『(笑)』と書かれて笑っていることを示していることも多くあったわけで、ここが省略表現になることは何の違和感もない。

これが口語だと、『わら』という発音で笑ってることをさすというのはまだ理解できないので、多分ここでは『わら』と発音されることはほぼないような時代がある程度の期間あるはず。

『笑は笑えるの意である』ってのが浸透してくると、狙って『笑』と書くので、変換ミス、もしくはダジャレ的同音異義語を無理やり同音同義語として扱うという遊びから『ワラ』『藁』なども笑っていることの表現として受け入れられていく。この辺りで『わら』って音だけで笑っている表現として有用になってくるのかな。『笑』の字から離れて、『わら』の音だけで『笑える・笑っている』が表現でき、それが受け入れられて浸透したのがこの辺じゃないかと思う。この辺りまでくると、口語で『わら』と発音しても、以上の文脈を持っている人なら『ああ、ウケるとか笑えるって意味のわらだな』って解釈が可能になっているはず。

より高速で短い手法で表現する

ワラ、藁まで来ると、もはや『わら』の音なら何でもいいという所にくると思うのだけど、この辺でやっとこ『w』で笑いを表現するぐらいになるだろうか。三省堂の国語辞典曰く、wは『warai』の省略形として運用される日本語とのことだが、多分『わら』の音だけで成立したほうが先なので、『wara』の省略形として『w』があるのではないかと思う。

wが広く受け入れられた理由をちょっと穿って考えてみると、wってローマ字打ちだと連続して打ってもひらがなにならないから、簡単に大量に打てるってのがある。『www』と増やすことで、より『笑っている』を強調出来るから使いやすいなんて事情もあったんじゃなかろうか(笑笑やわららなど、文字を重ねて表記することで意図を強化するのはだれでもやる)。あと、変な話だけれど『wwっうぇww』みたいにタイプミスして『e』を打ってしまっても、引き笑いのように見えるし、これはこれで実際の笑いをよく表現した手段だったのだと思う。

笑うというのは即応性が重要な感情表現なので、笑い時を逃すと下手をすれば恥をかいてしまう(アメリカンジョークの笑いどころを逃す日本人、といったような揶揄に通づる)。そうなってくるとテキストベースコミュニケーションでもなるべく早く笑ってみせる必要があり、そういう時にwは便利だったんだろう。

wが芝になるまで

『w』が市民権を得て、大量に『wwwww』などと書かれるようになってからは鬱陶しがられたり、便利に使われたりと活用されていったが、ここで芝刈り機の AA が出てくることで、『w』に新しい意味が出てくる。広く『w』を芝と呼ぶのは多分あの AA がきっかけなんじゃなかろうか。

        _, ._
      ( ・ω・)
      ○={=}〇,
       |:::::::::\, ', ´
    、、、、し 、、、(((.@)wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 

これな。

こうして『w』は『芝・草』とされ、転じて『草生える』というのが、『大量のwを並べてしまう』につながり、『めっちゃ笑える』として機能するようになった、ということ。

変わっていく文字と言葉

『笑』の元になった『(笑)』の起こりを遡ると昭和、ひいては大正くらいまで戻れるのだが、どうも一般によく使われ始めたのは昭和くらいかららしい(ネットソースなので信用ならんが)。

もちろん、ここに書いてあるだけでなく、こうやって語義が変わったり変化していく流れや理由にはもっと様々な要因がある(例えば、笑いが warai と表記されるようになったのは Diablo で日本語が使えなかったからだ、とか)。

面白いのは、笑という字そのものは象形文字で、実際の事柄の形を文字に起こしたものが、音だけで(形が失われて)なお同じ意味として運用され(ワラ・藁・w)、さらにその言葉の様を見て、形から別の事柄を連想(w → 草・芝)し、ついには到底関係なさそうな言葉が、元の意味を指すようになる(草生える = 笑える)という一連の流れだ。

世の中、言語は死ぬほどあるが、これだけよくわからん変化をたどる文化圏もそうそうなかろうと思う。もっと理屈付けたり、定義や成り立ちを追っていくことは可能なのだろうが、一旦このくらいで止めておく。

しかし何度考えても面白い変化をしたものである。まったくもって草生える。

参考