神社

庭の鳩に餌をあげないでください

制限の話

一応先に言っておくと、僕はそりゃもうビジネスはからっきしで、全然なんもわかっちゃいない。

昨晩、ちょっと友人と課金の話になった。課金ってのは、つまりネットビジネスの課金の話。で、僕は『制限をかけて解除したけりゃお金払ってね系のスキームがどうも好きじゃないんだよね』という話をした。今日はその話。

一言に制限って言ってもいろいろある。

僕の Github アカウントはこの前 Micro から Small になってしまった(恥ずかしいコードを非公開にしたくて)。これは制限がかかってて、プライベートなリポジトリを作りたければお金を払ってください。というモデルだ。

プライベートリポジトリ 5 つで $7 (Micro Plan)、10 個で $12 (Small Plan)を払ってね、と要求される。大体、1 つのプライベートリポジトリごとに $1 ちょっと払う感じだ。あんまり詳しくないが、こういうのはフリーミアムと言われていて今のネットの世界じゃ結構当たり前なビジネスモデルになっている。

Github の制限にはもちろん納得してお金を払っているわけだが、じゃあ僕はフリーミアムモデルが嫌いなのかっていうとそうじゃない。お金を払えば、より良いサービスが受けられるというのは、別にネットに限ったことじゃなく、より良い接客を受けるために高いレストランに行くようなものなので、むしろいいことじゃないかとすら思う。Github だって同じで、単にプライベートリポジトリを作りたいだけなら BitBucket でタダで作れるのだ。でも僕はそうしないし、選んで Github にお金を払っている。そこはいい。

僕が気に喰わないのは、お金を払わないことで、お客じゃなくなるような仕組みだ。

何かボタンを押す、有料会員のメリットをまとめたでかいダイアログが出る、ダイアログを消す、次の操作をする、有料会員のメリットが懇切丁寧に並んだでかいダイアログが出る、ダイアログを消す……これはあれか、僕はこの操作を今後ずっとこのサービスでやるのか?金を払うまで?冗談だろ?

つまるところ、お金を払わない人がサービスを使おうとすると、圧倒的に不便にするようなつくりになっているサービスが、どうも気に食わないのだ。そりゃ、お金を払っていない人は今のところその会社にとって不利益の権化みたいな人だろう。そのユーザーだってサーバーリソースを消費しているのだから、お金払ってよ!と言いたくなるのは自然だ。自然でも、僕はユーザーとしてすごく嫌だ。そのサービスにお金を払うのは、金のあるなし以前に抵抗がある。

インターネットを通じてやりとりされる金額の総額を僕は知らないが、実際、ああいうお金を払わないと不便になるサービスというのはどれくらい稼げるものなんだろうと思案することがある。だって、お金を払えば素晴らしいサービスを受けられるとはいえ、無料ユーザーな今現在、僕にはちっともそのサービスが魅力的じゃないのだ。僕の目にはとにかく金を寄越せと言っているサービスにしか映らず、払っても本当に快適になるのか、確証が持てないのである。これにどれだけの人がお金を払えるのだろうか。

他に競合のないサービスなら、それでも稼げるのかもしれない。ユーザーに選択肢がないから、その金額要求された分だけ払うしかないから。でもそれは本当に皆が幸せになっているんだろうか、長続きする仕組みなんだろうか。

多分だけれど、ネットに限らずお客さんはそのサービスにリーチ出来る人の上限までしか数が増えない。とある町のスーパーならそのスーパーに通える圏内の人がお客さんの上限になる(他の町からたまに来る人とかもいて、確定ではないだろうけど、だいたいの話)。ネットサービスだってそうで、そのサービスが提供する機能に一切興味のない人はずっと来ないだろうし、興味があったけど飽きてしまった人などはやっぱり去って行ってしまう。町に新しく引っ越してくる人が居るように、ネットサービスにも新しく興味を持ってやってきてくれる人がいる。

そんな新しく来た人は、"門前払い"を食らうことになる。サービスは大抵、生まれた時はシンプルなものだけど、大きくなるにつれて機能が増え、よりビジネスライクになっていく。1 人の夢から生まれたサービスが、1000 人を食わせる企業になり、稼ぎはいつからか義務になっていく。

別にそういう流れそのものを嫌っている訳じゃあない。ただ、始まった頃を忘れてしまうのは、寂しいなと思うくらいだ。そしてより悲しいことに、すでにお金を払っている人は、払っていない人の気持ちにはなれないってことだ。

上で Github の例を出したけど、今僕の目の前で Github はプライベートリポジトリ作るのに金を要求する、なんてひどいやつなんだ、と批判する人が居たとして、僕は『じゃあお金払ったら?』と言ってしまうと思う。だって自分はお金を払った結果、それが正当な対価だと思っているし、払ってよかったなぁとすら思っている。払わない人の気持ちが理解できない。自分にもあったはずの『払って本当に便利になるのか?』の猜疑心を思い出せない。

それで、不便を強要されるとすごく辛い。サービスが好きになれないし、下手をすれば楽しんでサービスを使っている人(お金を払っている人)がまったくもって信じられないことになる。やつら、もしかしてサクラか何かなのか?社員がいいこと言ってるだけなんじゃないのか?という具合に。そしたら不幸な話で、よりお金を払えなくなっていく。払えば、望む限りの素晴らしいサービスが提供されるとしても、だ。これはずいぶん不幸なことだと思う。本来お金を払えばちゃんと報われる人が、しかも払う経済的余裕もある人が、信じられないというただ一点でお金を払えない。払えないから、お客様扱いもしてもらえない、という具合に。

やっぱり、どう考えたって不幸になる感じがする。実際に統計をとったり、ユーザーがどう動いているのかを計測してるわけじゃないので、ほとんどいちゃもんみたいなことしか言えていないのだけれど、やっぱりこういう制限のかかるタイプのサービスはどうも気に食わないのだ。

ただどうか、サービスを作っている方々は、たまには『その制限を自分が初めて触って受けるなら』という想像をして欲しい。もちろん、制限のない状態を知っているあなた方は『まぁちょっとお金払えば解決できるし』と思って軽く流せるだろうけど、払ったことのない人にその景色は想像できないのだ、ということもついでに思い出していただけると幸いです。

ちなみに、特定のサービスを指して書いている話ではないので、念のため。読んでて『あのサイトのことかな?』って思ったらそれはあなたがそのサイトにお金を払ってなくて制限を受けているか、制限に耐えかねてお金を払ったが納得をしていないだけだと思います。